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- 2014.07.01 Tuesday
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朝食の時間に、NHK BSの正月特集で、写真家、白川義員の世界百名山に挑む氏の姿が紹介されていました。
氏は、世界百ヶ国以上の名山に挑戦して、素晴らしい山の生命の美しさを撮り続けていますが、
今回は日本の名山の写真でした。
その中で、氏の言葉に、今の人たちは「科学信仰」があり、自然のもつ命(エネルギー)の大きさと
神々しい崇高さと美しさに、人は目を向ける必要がある。と語っていました。
氏の写真集は、長年「自然のメッセージを日本人の魂へ」と願い求めてきた、その姿の表現でした。
人工色にすっぽりと浸かり、染まって生きている私たちの姿が、科学を崇拝する「科学信仰」と
表現された氏の言葉に、私は、はたと、感銘を受けたのです。
現在の近代世界で生活する人類は、その価値を是として、更なる人工世界強勢のために、
経済的高揚を最優先とする社会の風情は、確かに「科学信仰」の世界と言えると感じたのです。
私は、人の「心のふる里」に戻る旅を「信仰」としていますが、物質文明の価値を知る人の心は、
なかなか、自分の持つ精神的信仰の価値に気付くことは、難しい生活環境に在ると言えるでしょう。
仏教で説く、人の「心のふる里」は「九識」と言われるもので、一般的仏教語では「仏心」と言います。
この「仏心」と「信仰」はどのような関係なのでしょうか?
貴方の「仏心」は、あなたの何処に在ると思われますか?
私の「心のふる里」への旅はまだまだ続きそうです。
人の心は常に変化して無常心であり、何処に在るのか、どのようなものか、自分の心でありながら、その実態を知ることもできません。
それでこの段では、仏教の説く心「識}を参考にして、人の心を尋ねる旅に出たいと思います。
ここで、私たちが自分ではっきりと理解できることに、人の心は身体の中に在ることと、身体の外の影響を受けることです。
そして、身体の外からの刺激は、一般に五感と呼ばれています、人の外境(身体の外界)との接触器官の、目、鼻、口、耳、手足、から外界の情報が運ばれ、その情報を纏めて管理する脳に伝えられるということです。
ただ、これらの認識できる外境情報と、認識できない自律神経の交感神経や副交感神経や、情報の蓄積器官の海馬などは、私たちの無意識の潜在領域で、心の領域となります。
これらの脳の働きを、一般には、理性や本能という言葉がよく使われていますが、さて、ここからが、仏教の心の世界への入り口となります。
先の五感の接触器官は同様ですが、脳の情報を纏めて管理する仕組みの「意」を加えて、六器官として、仏教ではこれを「六根」と呼びます。
そして、其々の器官からの情報を、「塵」と呼び、その情報、即ち、色、香、味、音、触、を「五識」と呼び、これら「五識」の情報、それを「塵」と呼びますが、この「塵」を総和する心を「意」として加え、合計で、「六識」とします。
この様に、自分が認識できる「識」の範囲を纏めたものが「意」ですが、仏教ではこの「意」を、「七識」と呼び、これまでの「六根」を「六識」と名付けています。
通常、私たちが直接認識できる意識は、この七識までの領域となります。
これから先は、「八識」そして「九識」へと繋がります。つづく
朝食の時間に、NHK BS正月特集で、写真家、白川義員氏の世界百名山に挑む氏の姿が紹介されていました。
氏は、世界百ヶ国以上の名山に挑戦して、素晴らしい山の生命の美しさを撮り続けていますが、今回は日本の名山の写真でした。
その中で、氏の言葉に、今の人たちは「科学信仰」があり、自然のもつ命(エネルギー)の大きさと神々しい崇高さと美しさに、人は目を向ける必要がある。と語っていました。
氏の写真集は、長年「自然のメッセージを日本人の魂へ」と願い求めた、その姿の表現でした。
人工色にすっぽりと浸かり、染まって生きている私たちの姿が、科学を崇拝する「科学信仰」と表現された氏の言葉に、私は、はたと、感銘を受けたのです。
現在の近代世界で生活する人類は、その価値を是として、更なる人工世界強勢のために、経済活動の高揚を最優先とする社会の風情は、確かに「科学信仰」の世界と言えると感じたのです。
私は、人の「心のふる里」に戻る旅を「信仰」としていますが、物質文明の価値を知る人の心は、なかなか、自分の持つ信仰の精神的価値に気付くことは難しい生活環境に在ると言えるでしょう。
仏教で説く人の「心のふる里」は「九識」と言われるもので、一般的仏教語では「仏心」と言います。
この「仏心」と「信仰」はどのような関係にあるのでしょうか?
貴方の「仏心」は、あなたの何処に在ると思われますか?
先に「八識」の心が含蔵識であり、その心は自我の「七識」の心を拾い上げて、この七識があなたの「業」を積み上げて、あなたの肉体の死と共に消滅すると申し上げました。
故に、肉体を離れて輪廻する心が「八識」(含蔵識)の阿頼耶識(あらやしき)と「九識」の菴摩羅識(あんまらしき)となりますね。
現代科学の物理学分野で、《エネルギー保存の法則》と言うのがありますが、これは、「最も基本的な物理法則のひとつ」と考えられていて、
多くの物理学者が、自然はこの法則に従って、宇宙エネルギーの総和は均一の、(0)エネルギーにあると信じられています。
さてここで、仏教の説に戻りますと、「八識」の阿頼耶識(あらやしき)と「九識」の菴摩羅識(あんまらしき)は、人の肉体に存在する、人体でない未知の存在の心と考えられます。
次世代に持ち越します「八識」は、人の日常生活の心の集大成ですから、このままでは、「八識」は、現世「在世」の汚れに染められて、悪人の世界となってしまいますが、人が、かろうじて現世界に在る限り、「九識」の「仏心」が究極の悪を抑えており、その死後は、「八識」を、その人の「業」に応じて、無限の時の輪廻を経させて、再び人の世界に戻し、再度「成仏」させるべく、制御しています。
お分かりでしょうか?
これが慈悲の姿なのです。
ただし、この在世で、「正しい信仰」があれば、その信仰の強さ「エネルギー」で、「八識」に、「七識」までの「業」を清める「連持心」を起こして、「九識」の「仏心」と合体して、成仏の種「下種」が生じ、「仏心」となり「成仏」することができるのです。
この意味は「現世で成仏」すると言う、途轍もない驚嘆の仏教の事実なのです。
仏教の「因」があって「果」がある道理は、「信」の「因」が「八識」となりそして、「八識」が「因」となり「九識の仏心」の「果」に合体することを意味しているわけです。
この様に、仏教の真の目的は、全ての人が「正しい仏教信仰」の「信」を堅持することで、その「信」の全ての人が「成仏」することにあり、これが仏教の(大慈悲)なのです。
故に、あなたに「信」が起こらなければ、「八識」に「連持心」を起こすことができませんので、「成仏」は不可能であり、「仏界」の生存することができないのです。
この様に、あなたの「信」による、「正しい仏教」での「正しい信仰」は、あなたのためのものであり、あなたの全てを救うものであり、そしてまた、全ての人のための「成仏」への道なのです。
これまで、人の心の構成とその機能についてお話しして参りましたが、次に、心の作用の実態探検の旅に出て見てみましょう。
お釈迦様(釈尊)がお説きになった教えの一つに、「心」を説く、般若心経があります。
釈尊の生涯で、その教えの年月は、40余年にわたりますが、その教えを説いた場所を、その説いた内容と合わせて分類しますと、大きく5つ分けることができます。
華厳時(37日)、阿含時(12年)、方等時(16年)、般若時(14年)、法華時(8年)の5
時(期)で、その時の期々で説かれた教えが、華厳経、阿含経、方等経、般若経、法華経、です。従いまして、般若心経(略名)は、釈尊が、般若時に説かれたもので、般若心経の正しい経題(具名)は、「般若波羅蜜多心経」と言います。
さて、このお経には、どんなことが説かれているのでしょうか。
何かぞくぞくしませんか?
次に続きます。
さて、心の経(心経)である、般若心経の「心」の概念とはどのようなものかですが、法華経での心の構成要素の九種の心とは異なり、心経の心とは、その様態であります、身体の心臓と精神の心を統合した心の「肉団心」(中国、欧米、インドなど)と名される、心臓の心と、この心を幾重にも論じている「大般若経六百巻」の(心要)を要約した、1.「真髄心」があり、更に深く「般若波羅蜜多心経」の、2.般若心、として説きます、この宇宙を大日如来の「体」し、その作用「用」を姿「相」として捉えるものです。加えて、
3.大日如来如来の大心(真言宗)と、4.五蘊(集まり)の力(仏心)と、4別(4重)に大別されています。
「般若波羅蜜」とは、「般若」は仏さまの智慧で、「波羅蜜」は、来世(被岸)にわたる事で、「仏の智慧を得て仏の国に渡る」と言う意味になります。
五蘊(集まり)とは、色、受、想、行、識、の人が持つ認識できる力の事で、先に説明しました、心の構成の七識と合体するものです。
さて、般若心経に書かれている心についての一つに、「五蘊皆空」の語句があります。
詰まり、色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊、は、永久的に在るが、それは存在しないものである。と観るのです。
その考え方を「空」と言い、「色不異空」「空不異色」「色即是空」「空即是色」などはよく知られている語句ではないでしょうか。
色は空と異なることはないし、空は色と異なることはない、即ち、
空は色である。
と説かれ、これは、人の心の作用の全てであります「五蘊」の全てが「空」の世界であると、般若心経に、人の心の形様が述べられているのです。
この様に、仏の悟りの心は、般若心経で、「人の心は存在するものであり、存在しないものでもある。」と。
さて、人の心の様相を「般若心経」の仏智を通して見てまいりましたが、さて一般に心と言いますと、人の心のみと考えるのが普通であると思います。
が、実は、自然界のすべてのものに「共通した心」が存在します。
その存在を仏教では、「仏心」と呼んでいます。
他教では、恐らくこの様な万物が心を持つという考え方は無いと思います。
何故なら、その宗教や宗派の教主や、又は、その崇拝の対象が人や動物であり、樹木や山や川、そして、海などであるためです。
仏教の「仏心」が万物に何故存在するのかと言いますと、宇宙上の万物に、宇宙の慈悲の魂、成仏へのエネルギー輪廻を絶やさないこと「ご法」(真実)にあります。
成仏の機会は万物が共有なのですが、ここでの問題は、始めも終わりもない輪廻の宇宙界で、この成仏ができる機会は、人間に輪廻した時にしか与えられないのです。
その理由は、今までお話ししてきました、八識の心( 阿頼耶識=悟りの心 )は、人にしか存在しないからです。
この阿頼耶識は、正法の御題目口唱で有一「連持心」を起こし、仏心の九識(= 庵摩羅識=真淨識 )と合体できる心であるからです。
仏心と合体し「仏心」と成る、即ち、これのみが、「成仏」=「永遠の生命」の道なのです。
ここで、あなたもお分かりと思いますが、あなたが人として生きている「現世」でしか、「来世」の「成仏」の心となる、「連持心」を起こす「信仰」ができない訳で、来世の「果」である、成仏の「因」の、「正しい信仰」が「現世」で必須となるのです。
仏教は、因と果の「理」による宗教です。
この現代は、仏教の宗教心が滅した世で「末法」の世と言います。
お釈迦さまが在世であった世を「正法の世」、その後を「像法の世」と言い、「正法の世」から2500年後の現代が「末法の世」となるのですが、其の世毎に、修行の形態が移行します。
例えば、稲の種は春蒔く時期で、夏ではありませんし、果の収穫は秋で、冬ではないように、その時季々々(正法、像法、末法、の世)で、その修行法が異なる理です。
正しい仏教の信仰は一つであり、故に正しい教えも一つであり、その「末法の信仰」を、あなたの生活の基本として、自分を育て、他人を育て、社会を育て、世界を育てて、共に幸せで平和な世界を育て創り上げて、地球上の全ての人を成仏させ、人間世界を(浄土)にする、大慈悲「ご法の心」が、仏教であり、そのための信仰なのです。
如何ですか?
あなたに何故に、何のために「信仰」が必要なのか?
そして、あなたに必要なその「信仰」とは、何なのか?
がお分かりになったでしょうか。
もしあなたが、この様な簡単な内容の短い文章で、御理解できたとしたら、あなたは、素晴らしい頭脳と心の持主の方と思います。
何故なら、私は、この様な事をお話しできるのは、この信仰に入って
30年近くになるのに、まだ分からないことが次々と生じているからです。
仏教の世界は、理の世界でその内容が難しく、そして、宇宙観での其の大きさは膨大で緻密であり、そして、仏典そのものがロマンであります。
さて、ここで最初に戻り、あなたにした最初の質問を見てみましょう。
宗教とは何だ。
信仰とは何だ
信仰と宗教はどっちが先だ。
宗教は誰のためのものか。
宗教とは何のためなのか。
宗教は何故煙たがれるのか
あなたに信仰は本当に不必要なのか。
そして、
貴方は何処から生まれて来たのか。
貴方はなぜ今生きていられるのか。
貴方は死んで何処へ行くのか。
貴方はなぜ死ぬのか。
貴方は誰なのだ。
貴方はこれらの一般的な問いに、答えが出ましたか。
きっと、あなたはあなた自身のその答えを出されたと存じます。
あなたとご一緒に、仏教とその信仰に対する考え方や疑念を整理して見ましょう。
今までお話してきましたように、仏教とは、単にお詣りや葬式をするための形式的儀式的な宗教ではないのです。
故に、儀式仏教の葬儀では、死んでも成仏できない「理」です。
お正月の初詣でや、お彼岸の墓参りなどの正しい信仰の無い行為は、
回向の功徳も積めず、何らご先祖のご供養の意味をもちません。
科学とは論理的な証明のあるものですが、それは、仏教の因果真理世界の中の、超微塵の更なる超微塵の、尚も更なる一部の領域の理の証明を人工的に表しているに過ぎないものでなのです。
仏教は、継承する一般的な伝統仏教の概念や、既成の格式を重んじるなどや、宗派を問わないとするものではありません。
現在の仏教様式や常識を考えるとき、正しい仏教の信仰でなく、形式の仏教であることが、理解できると思います。
故に、あなた自身が信じられる、真に価値ある確信が持てる仏教宗派を選択することが必須となるのです。
それは、「宗教は何故、あなたに煙たがれるのか」です。
その原因には、個人的な多様な要因があると思われますが、
その主なものを、気が付くままに列挙します。
尚も仏教についての答え[A]として、簡単にその要点を添えてみます。
仏教は現在、あなたの得にならずその必要性を感じない。
[A] あなた自身の幸せと生活の基盤(根)となる必要なものです。
仏教を信仰してもお金は稼げない。
[A] 現在の仏教ビジネスでは稼げますが、本来直接に稼ぐものではありません。
仏教のその宗派への入会をしつこく勧誘される感がある。
[A] 多くの宗派や人により、その形態があることで、特に、宗教のみのものではありません。
世界の三大宗教の違いや、その宗派の内容が分からないので関心が湧かない。
[A] 仏教は、法の三世と成仏を説きますが、他は、神格化された人や、その教祖の出処が明確でないことがあります。
一度入会するとその宗教から逃れられないと言う恐怖感がある。
[A] 時に狂信的や密教的教団と、ビジネス執着の仏教教団を除いて、全くその様な事はありません。
信仰とか流儀とか決まりがあり、縛られそうで、何か窮屈で面倒臭い。
[A]どの社会にもあることで、あなたがお付き合いのクラブなどと同様の普通の人とその社会です。
教典を読んでも、理解できない。
[A] ご自分一人では理解しにくいですが、平易な教本が用意されているのが普通です。
お家の仏壇やお墓にお参りしている、仏教の宗派であれば、それでよい。
[A] 間違いです。何の宗派かが問題なのです。その宗派でその「経、律、論」が異なります。
仏教の真は一つしかありませんので、一つに決まります。
昔からの帰依する宗派は決まっている。
[A] 前問と同様で、その宗派と経典が問題です。
特に法要(読経)が必要な時は、お坊さんに頼めばよい。
[A] 仏教の成仏の信仰と関係ないことで、意味を持ちません。
死人に死後の世界など無いので、信仰は無意味だ。
[A] 天文学の新星の誕生する宇宙の世界や、又、あなたの生誕や、あなたのDNAのルーツを、仏教の三世の世界観と重ねてみて下さい。
神や仏なんて人間の作ったもので在るわけがない。
[A] あなたが今生きているのは、何によって生かされていますか。
それが仏や神なのです。
困ったときだけお祈りすればよい。
[A] そんなお考えはばかげています。お祈りすれば人の死が免れますか。真のお祈りとは、そんな低次元のものではありません。
信仰には寄付などのお金がかかる。
[A] その通りですが、信仰と寄付とに、直接の関係は在りません。
寄付は、ご自分の信仰への感謝の布施であり、個人的な奉仕の形の一つです。
即ち、個人の財力やお考えで行われるものが、仏教の布施と言われるものです。
昔、出家の坊さんが自分の食事を得るため、地域社会にお願い(托鉢)していたものです。
ご質問はまだまだあるかと思いますが、取敢えずお考えになるヒントとして、回答[A]を添えておきますので、今までお話ししてきました仏教の要点を参照されて、自問自答をしてみて頂きたいと思います。
ここまで、「心のふる里」の地図を頼りに、その旅を続けてまいりましたが、果たしてその終点である正しい信仰に、あなたの帰依が叶うのでしょうか?
あなたに、仏教の大慈悲心であります、成仏の信仰に値する、正しい仏教教団の選択が出来るでしょうか。
仏教について、その一部を垣間見ながら心の旅を進めて参りましたが、いざご自分の事となりますと、まだまだ疑念やその検証の長い長い道のりがお有りと存じます。
即ち、私がお話ししてきました、色々の事を検証して、あなたの「心のふる里」の信仰ができる信頼の宗派を探し当てて、あなたがその宗派と信仰に辿り着くまで、恐らくは、大変なご苦労と、そして、その決断の必要があると思われます。
仏教経典の譬えに在りますように、天から海に糸を垂らして、浮いている小板の穴を通す程、この「法華経」を信ずることは難しいと言われているのです。
かく言う私も東京で、当時、仏教は一つである筈と決めて、仏教の各宗派を尋ね歩き、その確信を求めて概ね三年を費やしたからです。
各宗派のご信者は、当然ながら自分が帰依する宗派が正しいと信じているので、学の無い私には、何が正しいのかの判別がつかい状態での学習が続き、自分が納得する迄の長い期間が必要でした。
無信仰であった私は、単に仏教は一つであるとする自分の流儀で、親の宗教を統一して、何宗のお墓を作ることが良いのかとしか考えませんでしたが、各宗派を尋ねてみて、何故に、こんなにも宗派があり、崇拝する御本尊が異なるのか、その疑問にぶちのめされたものです。
あなたももしかしたら、その様な思いを持たれてこの旅を続けられているかもしれませんね。
そこでこの末法濁世で、あなた自身が選択する「真の仏教」とは、何宗の何派なのか、その教団は、何処に在るのかを、ご案内いたします。
つづく