「一切衆生の備ふる所の仏性を妙法蓮華経と名づくなり」「聖愚問答抄」
あなたも持つています、あなたの仏性を呼び覚ますのが「八品所顕の御題目の
南無妙法蓮華経」なのです。
この例えのお話しですが、ある土地で出来たある果物が、あなたに必須の全ての
成分が含まれているとします。
もし、他の土地で出来たその名同じの果物があったとして、その果物にあなたに
必須の成分が欠落している場合、あなたはどちらの果物を選びますか?
薬でも同じです。あなたに必須の成分が含まれている薬と、あなたには不必要な
成分が多種多量に含まれている薬がある場合に、あなたはどちらの薬を選びますか?
その答えは明白ですね。
口唱するお題目が同じであっても、その法能は全く異なります。
それは、「南無妙法蓮華経」の口唱が、天台宗でも、他の日蓮宗でも同じであり、
どの宗派も我宗が正しいとする中では、一般に、誰しもがその見分けはつきませんし、
日蓮宗の同じく口唱する「南無妙法蓮華経」の正否の見分けもできないのが、現在の
仏教なのです。
その故に、日隆上人は、末法の御題目の名を、他宗と分けて、「成仏」の法能がある「
本門八品所顕上行所伝の南無妙法蓮華経」としたのです。
即ち、口唱「お題目」が同じであっても、その法能が全く異ない信仰に価値はなく、
あなたに真の価値のある宗派が、あなたに正しい必須の仏教宗派であり、信仰なのです。
正しい信仰だからこそ、その誇りと、真剣な信仰の絆が保たれるのです。
結び
三井村では、天台宗本法寺の貫首、円澄法印を教化するなど、一村丸ごと本門法華の信者にし、
その後も、阪神尼崎辰巳の豪商、二郎五郎の要請を受けて尼崎に赴き、二郎五郎のその家を道場に頂き、
その地の布教をするが、その国の守護、細川満元の男子出産の願いが縁で、満元夫妻が信者となり、
経力、仏力、信力が冥合して、無事男子を出産し、そのお礼として、八幡社の広大な地を、道場
建立の寺地に贈られたのです。
因みに、八幡大菩薩は、法華経の守護神で、先に記しました、日隆上人の父と母が、共に、出産に
関わる夢で、超常現象を見ていますが、その時の夢と持合する、剣と一寸の張(区切りとする垂れ絹)、
とその模様が、八幡社の禰宜(宮司を補佐する者)の言で、当時、八幡社から消滅した
不思議な事象と符合したため、当事者の日隆上人も大変な驚きであったと言われます。
天台宗も法華経ですが、開祖伝行大師以後、法華経を名乗らず、知名度の天台宗として、朝廷の
絶大な庇護を受け、大衆から恐れられる権力の寺格となっていたのです。
その他にも、日朗門下の日静は、俗縁の足利尊氏の庇護のもとに建立した「本圀寺」もまた、
権力寺と化し、この二大権力下の寺格の法華宗が、隆盛を極めていました。
その天台宗は、日蓮宗の法華宗は正統ではないとして、朝廷に直訴し、朝廷の権力を借りて法華宗の
排除をしようとして、法論争となりましたが、先の日霽上人が、後醍醐天皇から賜った
勅願寺の証、「四海唱導法華宗号」を提示して、その訴えを退けます。
が、妙顕寺も、日霽から遺命を受けて20歳で貫首(宗師)となった、公家出の
「月明」が、派手な衣装と帯刀などの非行と、公家や武家の有力者を味方にする
猟官運動に専念するなど、その地位と背景を活かして「僧正」の勅許を受けますが、
法儀の本流からか外れた紊乱は、寺内の騒動となり、特に若い僧を中心に「像門の本流」
「本化仏教」に戻す動きが、出てきました。
当然ながら、この中の中心に、日隆上人がいたのです。
それに加えて、「本圀寺」の改革を模索する若い僧侶も加わっていました。
当時26歳の日隆僧は、その後、妙顕寺の貫首、月明僧の紊乱に対する問責をしますが、月明僧護衛の
寺侍の暴挙があり、改革の芽が先伸びとなります。
本圀寺の改革僧は本圀寺を離脱して、本門派、日陣の本禅寺に帰属しています。
しかしその4年後に、先の天台宗延暦寺の宗徒が、日枝神社の神輿を押出し、当時の神仏を背にした
神輿振りが、朝廷に対する強訴であり、朝廷は、その神輿振りと神社の下人で最下級犬神人と
呼ぶ暴徒集の暴挙に屈し、法華経の本門寺の妙顕寺を取り壊す破却裁定を下します。
その一年後、全国に布教し帰京した、日隆上人は、檀家で商人の六郎兵衛の支援で、一軒家を得て、
「本応寺」と名して、本門道場とします。
妙顕寺は、日蓮聖人がお亡くなりになる2日前に、以後は、日朗阿闍梨を貫首(師)とし、
日蓮の本化仏教を、天皇に上奏(帝闕奏聞)するお役を、その弟子の日像上人
(当時14歳の経一丸)に遺命をされ、日像上人は、53年の生涯を掛けて、三度も
都を追われるなどの法難を受けながらも、その本化仏教の弘通を続けて、
遂に後醍醐天皇の勅願寺となり、宗祖日蓮宗の遺命を成し遂げたお寺であり、
日連聖人直系の寺格の寺です。この日像上人の偉業から、この流れを「像門」
と言います。
そして日蓮直系の法燈は、日朗、日像、大覚、朗源、そして当時は、日霽で、
その門下に好学第一人者の(好学坊)と称された「日存」と、道徳第一人者の(精進坊)
と称された[日道]がいて、その流れの下で、「深円」は学び、その後、頭角を現して、
坊の称号をもらい、「慶林坊日立」となりますが、その人が後の「日隆上人」です。
では、在家仏教とはどのようなものなのでしょうか?
在家仏教修行とは、自宅において自らが、宗門の教義で修行をする形態を
言います。
これでお分かりのように、在家の場合の信仰は、自らの修行で、即ち、
実践なのです。
その為、自分の崇拝し信仰する対象が明確であり、自分が所属する教団は、
自分が学習と実践するに正に適合の宗旨と教義があり、自分の資質を高め
られる環境があることが、その存在価値となります。
即ち、信者主体の信仰組織環境となるわけです。
ここで、あなたに再度あお尋ねしますが、仏教は、誰のために、また、
何のために存在するのでしょうか?
仏教、そして、心のふる里の「法華経」をお読みになったあなたには、
その答えが既にお有りであると思いますが!!
そうてす。あなたのお感じた通りです。
仏教は、あなた自身の資質を浄化するための教えであり、そして、その究極は、
成仏の「下種」の法玉のご利益を得る為のものです。
そして更に、その実践で得る「下種」の功徳を、自己と自己以外の社会の人々に、
在世成仏できるように広く分け与えて、仏教の大慈悲であります、この地球世界が、
永久に幸せで平和な仏の世界(浄土)の実現を目指して、努めることにあるのです。
その為の信仰が、真の仏教信仰なのです。
故に、「寺院仏教」格式や「寺業」の「式典仏教」の形態とは全く異なる、
自己の完成を目指し、その社会を目指す「在家仏教」こそが、あなたための
真の仏教とその教義であり、「下種の仏教」の形態なのです。
あなたの日常の信仰は、あなたの心と行動の基盤として、日々の生活に活かす
「在家仏教」でなくてはならないのです。
この違いはどの様なものでしょうか?
元々出家をする基本的な考え方は、汚れた煩悩の今の世界から、ご自身の煩悩を
絶つために、この濁世、即ち現俗世を離れて悟りを開くことの修行でありました。
その為に、俗世との縁を切り、その教えと実践の場であります寺院(宗門)に
入門することを「出家」と言います。
この背景には、宗教社会の歴史的階級制度がありました。
宗教者は歴史的に、上層階級の英才教育の師と言う社会的位置付けから、
為政者の大衆を治める知識や手段として用いられ、それらの、司祭や賢者、
兵法者、預言者は、政治や社会の上層階に位置して、特別存在的立場で
処遇され擁護されていたのです。
仏教も然りで、膨大で難しい経典を学び実践するには、その場所と長い期間が必要であり、それを修めた者は、その門流の権威者として、社会の階級的市民権を得たのです。
この様な仕組みの中、為政者による寺院の建立や格付け、そして権威が醸成され、
尊敬と崇拝を集め、その流れが後に檀家制度となり、信者数の社会的権力として
擁護されて来たのです。
しかし現在では、専ら「寺業」に昇華した形態の形式寺院仏教となり、
出家の歴史的意義も薄れて、伝統的系列仏教となっています。
現在の寺院は、専ら、檀家の仏教行事を行う事業を「寺業」として、成り立って
いますので、檀家は、その出家僧侶に、仏事を委託する形態となり、自らが
学習し実践するなどの苦労をする必要がないわけで、法事の必要があれば、
「寺業」を利用すればよく、宗派には属しますが、自己の宗教を知らない
仮の信者の形態となっています。
故に、その仏教宗派の宗旨や教義内容の学習や実践には殆ど関与せず、
信者と言えない寺業経済を支える檀家であると言えるのです。
このため、檀家の自宅での仏壇お参詣の形態は、在家仏教ではなく、出家寺院の
系列に入ります。
では片や、在家仏教とはどのようなものでしょうか?