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    日隆上人の偉業2

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      日隆上人は12歳で元服してその名をながなお名乗りますが、戦国の城主
      豪勇武将の息子として生まれ、このただれた病の時代と母の病を癒すことが、
      自分が産れてきた定めとし母、とみや、乳母、妙女たえじょの出会い、そして、
      幾つかの超現象的な事象の奇しき縁で、父の許しを得て、修羅道の武士の世界から
      出家し、遠成寺に入り、慶寿院を師とし法号の「深円」を授けられます。

      そこから、末法濁世時(現代)に、日蓮聖人の真の仏教(本化仏教)布教弘通の
      実践を伝承する、苦難の道を歩んでいきます。

      詳細は省きますが、その後、深円は京に上がり、京で最初の法華道場の、妙顕寺
      (妙本寺)に移ります。

      妙顕寺は、日蓮聖人がお亡くなりになる2日前に、以後は、日朗()(じゃ)()貫首(とし、

      日蓮の本化仏教を天皇に上奏((てい)(けつ)(そう)(もん)するお役、その弟子日像上人

      (当時14歳の経一丸)に遺命をされ、日像上人は、53年の生涯を掛けて、三度も

      都を追われるなどの法難を受けながらも、その本化仏教の弘通を続けて、

      遂に後醍醐天皇の勅願寺となり、宗祖日蓮宗の遺命を成し遂げたお寺であり、

      日連聖人直系の寺格の寺です。この日像上人の偉業から、この流れを「像門」

      と言います。

      そして日蓮直系の法燈は、日朗、日像、大覚、朗源、そして当時は、にちせい

      その門下好学第一人者の(好学坊)と称された「日存」と、道徳第一人者の(精進坊)

      と称された[日道]がいて、その流れの下で、「深円」は学び、その頭角を現して、

      坊の称号をもらい、「慶林坊にちりゅう」となりますがの人「日隆上人」す。







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