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- 2014.07.01 Tuesday
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妙顕寺は、日蓮聖人がお亡くなりになる2日前に、以後は、日朗阿闍梨を貫首(師)とし、
日蓮の本化仏教を、天皇に上奏(帝闕奏聞)するお役を、その弟子の日像上人
(当時14歳の経一丸)に遺命をされ、日像上人は、53年の生涯を掛けて、三度も
都を追われるなどの法難を受けながらも、その本化仏教の弘通を続けて、
遂に後醍醐天皇の勅願寺となり、宗祖日蓮宗の遺命を成し遂げたお寺であり、
日連聖人直系の寺格の寺です。この日像上人の偉業から、この流れを「像門」
と言います。
そして日蓮直系の法燈は、日朗、日像、大覚、朗源、そして当時は、日霽で、
その門下に好学第一人者の(好学坊)と称された「日存」と、道徳第一人者の(精進坊)
と称された[日道]がいて、その流れの下で、「深円」は学び、その後、頭角を現して、
坊の称号をもらい、「慶林坊日立」となりますが、その人が後の「日隆上人」です。