スポンサーサイト
一定期間更新がないため広告を表示しています
- 2014.07.01 Tuesday
- -
- -
- -
- -
- by スポンサードリンク
先に「八識」の心が含蔵識であり、その心は自我の「七識」の心を拾い上げて、この七識があなたの「業」を積み上げて、あなたの肉体の死と共に消滅すると申し上げました。
故に、肉体を離れて輪廻する心が「八識」(含蔵識)の阿頼耶識(あらやしき)と「九識」の菴摩羅識(あんまらしき)となりますね。
現代科学の物理学分野で、《エネルギー保存の法則》と言うのがありますが、これは、「最も基本的な物理法則のひとつ」と考えられていて、
多くの物理学者が、自然はこの法則に従って、宇宙エネルギーの総和は均一の、(0)エネルギーにあると信じられています。
さてここで、仏教の説に戻りますと、「八識」の阿頼耶識(あらやしき)と「九識」の菴摩羅識(あんまらしき)は、人の肉体に存在する、人体でない未知の存在の心と考えられます。
次世代に持ち越します「八識」は、人の日常生活の心の集大成ですから、このままでは、「八識」は、現世「在世」の汚れに染められて、悪人の世界となってしまいますが、人が、かろうじて現世界に在る限り、「九識」の「仏心」が究極の悪を抑えており、その死後は、「八識」を、その人の「業」に応じて、無限の時の輪廻を経させて、再び人の世界に戻し、再度「成仏」させるべく、制御しています。
お分かりでしょうか?
これが慈悲の姿なのです。
ただし、この在世で、「正しい信仰」があれば、その信仰の強さ「エネルギー」で、「八識」に、「七識」までの「業」を清める「連持心」を起こして、「九識」の「仏心」と合体して、成仏の種「下種」が生じ、「仏心」となり「成仏」することができるのです。
この意味は「現世で成仏」すると言う、途轍もない驚嘆の仏教の事実なのです。
仏教の「因」があって「果」がある道理は、「信」の「因」が「八識」となりそして、「八識」が「因」となり「九識の仏心」の「果」に合体することを意味しているわけです。
この様に、仏教の真の目的は、全ての人が「正しい仏教信仰」の「信」を堅持することで、その「信」の全ての人が「成仏」することにあり、これが仏教の(大慈悲)なのです。
故に、あなたに「信」が起こらなければ、「八識」に「連持心」を起こすことができませんので、「成仏」は不可能であり、「仏界」の生存することができないのです。
この様に、あなたの「信」による、「正しい仏教」での「正しい信仰」は、あなたのためのものであり、あなたの全てを救うものであり、そしてまた、全ての人のための「成仏」への道なのです。